カルティエの時計が多くの人を魅了するのは、このブランドが世界屈指の名門ジュエラーであるからだけではない。カルティエこそ、腕時計というジャンルを開拓した先駆者であり、フォルムやデザインの美しさ、さらには卓越した“サヴォアフェール(匠の技)”により、時計界に数々のイノベーションを起こしてきたメゾンだからだ。
東京・原宿で開催される「TIME UNLIMITED – カルティエ ウォッチ 時を超える」は、そんなカルティエのウオッチメイキングについて改めて理解を深めることができる没入体験型のイベント。同展示会にてオーディオガイドのナレーションを担当する評論家の山田五郎さんの解説を交えながら、改めてカルティエの時計の魅力をひもといていきたい。

赤のドット柄タイとピンクのクレリックシャツで、端正なネイビースーツを洒脱に着こなしていた山田五郎さん。ドレッシーな革ベルトを装着したカルティエの「タンク」がとても似合っていた
腕時計の歴史の扉を開いたルイ・カルティエの先進性
ジュエリー界のトップに君臨するカルティエの創業は1847年。時計を手がけたのはかなり早く、創業から6年後の1853年の台帳には既にメンズの懐中時計やレディースのペンダントウオッチなどが登場している。
3代目ルイ=ジョセフ・カルティエの時代には、カルティエは各国王室の御用達となり、「王の宝石商にして、宝石商の王」とたたえられていたが、一方で、ルイは腕時計制作のイメージを温めていたようだ。
当時、腕時計といえば高貴な女性の装飾品、あるいは懐中時計を無理やり腕にくくりつけたような軍用装備品しかなかった。だからこそ、もっとモダンで実用的な本格腕時計を作りたかったのだ。1900年代に入って、のちにジャガー・ルクルトを創設することになる時計師、エドモンド・ジャガーと出会い、夢は徐々に現実味を帯びてきた。

(左上)カルティエ パリで製作された初期の「サントス」 (左下)生粋のモダニストであり、今日のカルティエの礎となる部分を確立した3代目のルイ=ジョセフ・カルティエ (右)ブラジル人の大富豪、アルベルト・サントス=デュモン。カルティエ初の本格腕時計は彼のオーダーで誕生した
そんなときに、ルイは友人であるブラジル人の大富豪、アルベルト・サントス=デュモンから、ある依頼を受ける。当時、彼は飛行機の操縦に情熱を燃やしており、飛行中に操縦装置から手を離すことなく、一瞬で時刻を視認できる時計を求めていたのだ。
そして、ルイのイメージをエドモンドが形にして、1904年に「サントス」が誕生する。これこそがカルティエ最初の本格的な腕時計であり、ここから腕時計の歴史が幕開けしたのだった。山田五郎さんも次のように語る。
「実用的な腕時計が一般に普及するのは第一次世界大戦(1914〜18年)後のこと。”サントス“の誕生は大戦の勃発よりも10年も早いんですよ。いかにルイ・カルティエに先見の明があったか、わかりますよね。”サントス“はベゼルのビス留めがとても印象的です。当時は割れやすかった風防ガラスの交換を容易にするための、いわば機能上の工夫ですが、ルイ・カルティエはビスを隠さず、あえて表に出すことでデザインに取り入れてしまいました。つまり、機能とデザインの両立という、やがて到来するモダニズムの潮流を、見事に先取りしているんですよ。ちなみに”サントス“のベゼルのビス留めは、後年の時計デザイナーたちにも大きな影響を与えています。最近はラグジュアリースポーツウオッチと呼ばれるジャンルがトレンドとなっていますが、その源流は”サントス“と言っても過言ではないでしょう。”サントス“の誕生は、時計界にとって本当にエポックメイキングな出来事だったと思いますよ」
カルティエこそ、装飾品でも軍用でもない、民生品としての実用的な腕時計を初めて作ったブランドだと語る山田五郎さん。※タップやマウスオーバー後に左下の音声ボタンを押すと音声有りで再生されます(30秒)
カルティエがフォルムを生み出すウオッチメイカーと呼ばれる理由
カルティエは腕時計のケースフォルムにおいても、業界をリードし続けてきた。
そもそもメゾン最初のリストウオッチである「サントス」からして角形ケース。ラウンドケースの懐中時計が主流だった時代、とてもモダンに見えたことだろう。
同じくルイのデザインで1917年に誕生した「タンク」も角形だった。
平行に伸びる2本の縦枠をシグネチャーとするこの時計は、第一次世界大戦における最大の戦いといわれるソンム戦線において、イギリス軍が史上初めて投入した戦車(タンク)がモチーフ。当時の人々は、両脇に配された巨大なキャタピラーで、どんな悪路も力強く進む戦車の姿に畏敬の念を抱いていた。
ルイもまた、ヨーロッパにやがて平和をもたらすことになるであろう、その革新的な乗り物に衝撃を受ける。そして、戦車を上から見た姿に着想を得て正方形の縦2辺を伸ばす意匠を生み出したのだ。
懐中時計は丸型だから、その発展型である腕時計も丸型にしたほうがたやすいはず。しかし、ルイはそうした常識に縛られず、スタイルの美しさや新しさにこだわる人物だったと山田五郎さんは考察する。
「ルイ・カルティエのセンスは、驚くほど時代を先取りしています。1920年代に入ると、アールデコの時代となり、他ブランドからも角形の時計がたくさん登場してきます。しかし、“サントス”や“タンク”が誕生した時代、世の中はまだ曲線的で装飾的なアールヌーヴォーのデザインが主流。そのなかでルイは『いやいや、これからは直線基調のデザインがカッコいいでしょう』と考えたわけですからね。そして、時代がカルティエに追いつく。ルイはアーティストとして本当に非凡なセンスの持ち主だったんですね」

既存の概念から逸脱した独創的な時計フォルムを多く送り出してきたカルティエ。時代を超越する美しいシルエットは、他の時計ブランドにも大きな影響を与えた
サントスやタンク以外の、ルイがデザインした初期のカルティエの腕時計も、樽型の「トノー」、亀の甲羅がモチーフの「トーチュ」と非丸型ばかりだ。
その後もカルティエは、「パンテール」や「クラッシュ」「バロン ブルー」と、既存の時計から逸脱したフォルムのモデルを数多くリリースし、先進的な心を持つ人たちを魅了し続けてきた。
まさにカルティエは“フォルムを生み出すウオッチメイカー”。新たな時計フォルムを創出し続けてきた歴史も、このメゾンの時計に別格のオーラを与える大きな要因なのだ。
全てのアイコンウオッチに息づく研ぎ澄まされたエレガンス
一つ一つのシェイプやライン、そして特徴的なディテールにいたるまで、全てが徹底的に研ぎ澄まされたカルティエの時計。完璧なプロポーションは、こうした美への強いこだわりから生まれる。※タップやマウスオーバー後に左下の音声ボタンを押すと音声有りで再生されます(30秒)
通常、時計ブランドにおけるアイコンモデルは1〜2種類。「タンク」「サントス」「パンテール」「パシャ」「バロン ブルー」と、時代を超えて人気を博すアイコンモデルを数多く抱えるカルティエは、非常に稀有な存在と言える。
このことについて山田五郎さんは、カルティエのウオッチメイキングが常にデザインから始まっているからだと言う。
「普通の時計ブランドは、時計の機能面を優先してモノづくりをしていると思うんです。ところが、カルティエは常にデザインを優先してきた。さきほど説明した“サントス”のビス留めベゼルも、機能面からの発想ですが、それをちゃんと美しいデザインに昇華していますよね。デザインを優先するという、こうした姿勢が、結果として人々の印象に強く残るアイコンウオッチをいくつも生み出す成果をもたらしたのでしょう」
また、カルティエの時計は、いずれも独自の魅力を宿しながら、時計に詳しくない人が見ても一目でカルティエ製とわかるのも特徴だ。
これは、無駄を削ぎ落としたライン、明確なフォルム、完璧なプロポーション、洗練されたディテールという、メゾンにおけるクリエイションの4原則が厳格に守られるからだ。だからこそ、どのモデルを選んでも、カルティエらしい研ぎ澄まされたエレガンスを堪能できる。
自らの美意識や非凡なセンスを時計で表現したい人には、揺るぎないデザイン美学を守り抜くカルティエのアイコンウオッチは、絶好の選択となるだろう。

レイルウェィ ミニッツトラック(写真左上)、リューズのカボション(写真左下)、ブルースチール針(写真右上)、文字盤のギョーシェ模様(同)、そして、ローマ数字インデックス(写真右下)など……。こうしたアイコニックなディテールの数々も、カルティエの時計を特別なものとしている
匠の技に支えられ、常に未来志向のウオッチメイキングを推進
カルティエは、時計製造の全てを自社で行うマニュファクチュール体制を早くから整えてきた。パリのクリエイションスタジオで生まれたデザインを形にするため、現在ではスイスに5つの時計製造拠点を持つ。
そのうち最も大きいのがスイス時計産業の代表的な都市、ラ・ショー・ド・フォンにある「カルティエ マニュファクチュール」だ。ここからは「1904 MC」をはじめ、数々の自社製ムーブメントが輩出されている。

機能面はもちろんのこと、美観的にも一切隙のないカルティエのムーブメント。もちろんすべてがメゾンのラボラトリーで厳格なテストを受けている
このマニュファクチュールに隣接する「メゾン デ メティエダール」では、より高度で芸術性豊かなタイムピースが製造されている。ミステリー機構やスケルトンムーブメント、トゥールビヨンなど独創的なメカニズムもここから生まれた。
また(ラ・ショー・ド・フォンと同じスイス・ヌーシャテル州の)クーヴェにある「イノベーション ラボ」では、時計製造の未来を見据えて新技術のテストも積極的に行われている。
そのひとつの成果が2021年に発表された「タンク マスト」(写真下)だ。「タンク」のデザインを壊さずに光発電ムーブメントを搭載し、なおかつ、ストラップにリンゴの廃棄物などからなる非動物性素材を使用したことで大きな話題となった。

タンク伝統の美しいデザインを一切壊さぬまま、光発電ムーブメントを搭載した、カルティエの「タンク マスト」。自然光や人工の光が、型抜きされたローマ数字インデックスを透過し、ダイヤル下部にある光電池を充電する
山田五郎さんは、マニュファクチュールとしてのカルティエを次のように評価する。
「カルティエのムーブメントには、他では真似できないディテールがいっぱいあります。たとえばスケルトンムーブメントを時計好きの方がじっくりご覧になれば『ここを肉抜きしてきたか!』と驚くはず。これもデザインを優先するからでしょうね。製造の現場からは『ここは大事なパーツですから、いくらなんでも無理ですよ』なんて声もあったと思うんですよ。光発電ムーブメントを搭載した“タンク マスト”も、文字盤全体をソーラーセルにするほうが簡単なのに、わざわざローマ数字インデックス部分だけをソーラーセルにしている。現場はそれでは効率が悪いと反対したでしょうね。でもデザイナー陣は『だからこそ、それをやるとおしゃれだし、カルティエらしいんじゃないか』と押し通す。たしかに、そのほうがカッコいい。つまり、カルティエの時計づくりは、単に革新しているだけじゃないんです。美しさやおしゃれさへのこだわりを保ったまま、革新している。現場は相当大変だと思いますが、そうした無茶な要求に応えていくなかで技術がさらに磨かれ、次の革新を生む土壌となっている。ここもカルティエのウオッチメイキングの素晴らしさですね」

山田五郎(やまだ・ごろう)
編集者・評論家。1958年東京都生まれ。上智大学文学部在学中にオーストリアのザルツブルク大学に1年間遊学し西洋美術史を学ぶ。卒業後、講談社入社。『Hot-Dog PRESS』編集長などを経てフリー。現在は時計、西洋美術、街づくりなど幅広い分野で講演、執筆活動を続ける。『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎)、『闇の西洋絵画史』(全10巻)(創元社)、『機械式時計大全』(講談社)など著書多数。テレビ『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)、ラジオ『山田五郎と中川翔子のリミックスZ』(JFN)などにレギュラー出演中。
メゾンのウオッチメイキングが学べる体験型イベント「TIME UNLIMITED – カルティエ ウォッチ 時を超える」開催中

東京・原宿で開催されるイベント「TIME UNLIMITED」は、カルティエの時計作りに光を当てた世界巡回展。フランス系カナダ人のデザイナー、ウィロ・ペロンがデザインを手がけた会場は4つのスペースに分かれており、カルティエ ウォッチの重要なテーマである“パイオニア精神”“フォルム”“デザイン文化”“美を支える技術”について、理解を深めることができる。じつは日本でカルティエの時計にフォーカスしたイベントが行われるのは、これが初。カルティエのファンはもちろん、すべての時計好きが訪れるべき特別なイベントだ。

「TIME UNLIMITED – カルティエ ウォッチ 時を超える」
会期 2023年9月15日(金)〜10月1日(日)
住所 東京都渋谷区神宮前6-35-6 最寄駅 - JR山手線「原宿」駅徒歩2分、東京メトロ千代田線・副都心線「明治神宮前」駅直結
営業時間 12:00〜20:00(最終入場 19:30)*9月21日(木)12:00~16:00は貸し切りのためクローズいたします
入場料 無料 *ご入場にはカルティエLINE公式アカウントより事前予約が必要となりますので、ご予約のうえお越しください。
*モバイル版のみ